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ロサンゼルス・ドジャースで活躍中の大谷翔平(おおたにしょうへい)選手。
アメリカのプロ野球リーグ・メジャーリーグ(MLB)チーム エンゼルスに所属し、1年目にはア・リーグ新人王を受賞。
2021年にはオールスターに史上初の投手と野手両方の「二刀流」で選ばれ、リーグMVPにも。そして2023年にはロサンゼルス・ドジャースに移籍し、2024年 ドジャースのワールドシリーズ制覇に貢献。メジャーリーグでの活躍を続けています。
野球選手としての実力はもちろんのこと、ここに至るまでの努力や、礼儀正しく、自然体で、ゴミ拾いも自然とできてしまう人格にも世界中から注目が集まり、愛されている大谷選手。
そんな大谷選手は、どんな幼少期を過ごし、どのような努力を積み重ねて、大スターになったのでしょうか。
ヒントは父との「野球ノート」とマンダラチャートと呼ばれる目標達成シート「夢ノート」、そして……高校3年生のときにつくった「人生設計ノート」にありました!
どんなノートか、書き方も気になりますよね。大谷選手がノートをどのように活用していたか、またどのような子供時代を送ってこれほど大成したか。大谷選手の歴史とともにご紹介。 大谷選手のノートを参考にしたい方、小さい子供をもつ子育て中の方にも参考になるティップスがたくさんありますよ!
まずは子供時代から大リーガーになるまでの軌跡を年表で振り返ってみましょう。
華々しい経歴の大谷選手ですが、幼少期はごくごく普通の運動好きの少年だったようです。
現在193㎝という高身長、大柄なメジャーリーガーにも引けを取らない体格の大谷選手ですが、実は生まれたときの体重は3,400グラムと、特別大きかった訳ではありませんでした。
高校時代には1日10杯ものご飯を食べるほどになりましたが、実は幼少期は少食。
でも両親は「家族で食事を楽しむ」ことを重視し、無理に食べさせることはありませんでした。
遊びは、というと、近くの公園や河川敷に行って身体を動かしたり、お母さんのバドミントンの練習についていったり、お父さんとキャッチボールしたりと、いつも体を動かしている子供。
幼稚園の頃には、のちの野球に
関節の柔らかさや肩の可動域などに関しては影響があった
とされる水泳をスタート!
小学4年生の頃まで続け、高校の野球部時代、野球部の水泳トレーニングを見た水泳チームのコーチが「オリンピックを目指せる」と
太鼓判を押したほどのレベルまで上達したほど。
2歳上のお姉さん、7歳上のお兄さんに囲まれ、末っ子として育った大谷選手は、
末っ子ということで、家の中ではわりと甘えん坊
で、家族から大事に見守られながら成長しました。
お姉さん、お兄さんの様子も含め、周りを見て何かを感じ取ることが上手。
あまり怒られるようなことはせず、反抗期もありませんでした。
でも自己主張するときは、する。
幼少期にお気に入りの本の端っこが少しでも折れてると「誰が折ったんだ!」と感情をむき出しにして怒ったことも。
負けず嫌いの一面もあり、負けると、もういっかい!と食い下がるのが日常茶飯事。
年上の子とも取っ組み合いのケンカをしていたそうです。
そんな大谷選手が野球を本格的にはじめたのは、小学2年のとき。
地元の硬式リトルリーグ「水沢リトル」に入団してから、野球にあけくれる人生がスタートしました。
趣味は「野球」だった、少年時代。
あるとき、野球チームの監督が子供たちに「ゲームは持ってっるのか?」と聞いたところ、みんなが手をあげるなか、大谷選手だけは手を挙げませんでした。
なぜか聞いたところ、回答は……
野球の方が好きですから
そんな野球に没頭する大谷選手を、お母さんは野球チームへの送迎や、練習への付き添い。
野球チームの監督兼コーチもしていたお父さんはこのあと紹介する「野球ノート」などで、支え、見守りました。
そして、何か選択が必要なときは、口を出さずに本人に決めさせる。
環境を整えながら、見守る。
これが大谷家の教育方法でした。
名実ともにここまでの大スターになるまでには、元々の素質や周りの支えはもちろんのこと、本人の努力があってこそ。
そしてその努力は、3つのノートに支えられていました。
監督兼コーチだった父は、野球の練習が終わってからは、基本的に自宅に野球を持ち込まず、意識的に家では指導をしませんでした。
その代わり小学3年になる直前から5年生ぐらいまでつけていたのが、「野球ノート」。
お父さんと大谷選手の野球における交換日記のようなもので、毎日ではなく、大会や合宿などの節目で大谷選手が「良かったこと」、「悪かったこと」、「目標」を書き、お父さんがそこにアドバイスを書き添えていくスタイル。
野球ノートをつけた狙いについて、お父さんは
そこで大切なのは、悪かった時に次に何をすれば課題を克服できるのかを考えて行動に移すことだと思っていました。試合になれば、エラーや三振はつきものです。その反省から、自分がどういう取り組みをしていくのか。それらを言葉で書き残すことによって、やるべきことを頭に入れてほしかったんです。つまりは、練習や試合を通しながら日々の意識付けをしっかりとしてほしかった。野球ノートを始めたきっかけは、そこにありました
東洋経済オンライン 大谷翔平が今も大切にする、父の「3つの教え」
と言います。
そのノートの至るところに、お父さんが伝えたかった「野球をやっていくうえで大事にしながら進んでほしい、3つのポイント」が散りばめられていました。
このお父さんからの教えについて、のちに大谷選手は、こう語っています。
「父親の教えは基本的なものですが、今でも覚えています。」
高校時代の監督・佐々木洋氏からの教えにより作成した、8球団からドラフト1位指名を受けるという目標を達成するための、「マンダラチャート」という目標達成シート。
「夢ノート」とも呼ばれています。
一番叶えたい目標を真ん中に書き、それを達成するために必要な要素を8つ記入。
8つの要素を囲うように、それぞれ必要な要素を8つずつ書き込む、9×9 合計81マスのシートです。
夢に向かって闇雲に突っ走るのではなく、夢を叶えるために足りないものを書き出し、論理的に努力する。
これが大谷選手の成功の秘訣ともいえます。
以下が、作成方法と大谷選手が高校3年間で16枚書いたなかの最初の1枚です。
ドラ1 8球団→8球団からドラフト1位指名を受ける
メンタル、人間性、運、コントロール、体づくり、キレ、スピード160km、変化球
8つのマスのうち、一見、野球のスキルアップに直結しなそうなこんな「運」「人間性」「メンタル」は、
こんな言葉で囲われていました。
高校3年のとき、年齢ごとに将来の自分が何をしているかを記した「人生設計ノート」を作成。
そこに記されていたこと。それは……
27歳でWBC日本代表MVP
28歳でのWBC日本代表MVPですが、コロナ禍で大会がずれ込んだことを考えると、まさに、有言実行!
ちなみにこの「人生設計ノート」は、70歳までの計画が書かれています。
スポニチ 2024年3月1日記事より引用のうえ表作成
目標を明確に持ち、それを文字にし、そしてそれを実現するための努力をする。
大谷選手のすごさはまさにここにあるといえます!
大谷翔平選手の野球選手としての実力と、その愛される人間性は、ご両親の口は出さずに環境を整え「見守る」姿勢と、「野球ノート」「夢ノート」「人生設計ノート」に原点があったようです。
トップランナー、一流、と呼ばれる人たちには、そこに至るまでのドラマと、辿り着くまでの理由があります。
STREAMS教育.comでは今後も第一線で活躍する人々のドラマを追いながら、
未来の教育の手がかりを見つけていきたいと思います!
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執筆/編集:STREAMS教育.com編集部
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※情報は記事作成時点(2023/02/08)または更新時点(2024/11/12)のものです。
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